発熱症状、風邪症状等のある方へ

コロナウィルス対策のため、発熱症状、せき、くしゃみ等の風邪症状や味覚障害等の症状がある方は一般の診察と分けて診察を行います。
必要に応じて検査を行うことがありますので、医院内には入らず、必ず電話にてご連絡をしてから指示に従っていただきますようお願い申し上げます。

当番医と代休のお知らせ

11月3日(火)当番医です。それに伴い、11月10日(火)は休診とさせていただきます。

夏季休診のお知らせ

誠に勝手ながら、8/13(木)-15(土)の日程で夏季休診させていただきます。
8/17(月)より、通常診療となります。
休診中ご不便ををおかけしますが、お間違え無きよう、どうぞよろしくお願い致します。

校医として「荒牧こどもの食事を考える会」に関って

 

校医として「荒牧こどもの食事を考える会」に関って

 

2012年春、群馬県の「総合表彰」を受けました。前橋・在宅ケアネットワークの会の機関誌「ささえあい」にどんな趣旨での表彰だったかを書いてほしいと原稿依頼があったので投稿します。
私は市立荒牧小学校の内科校医を長く務めており、このことから今回の表彰となったものと思われます。しかし現在、荒牧小では、児童、先生、保護者と学校医、学校栄養士とが連携して地域ぐるみの学校保健活動が活発に取組まれています。この活動は全国の模範として高く評価されており、参加する私にとっては単に校医を長年務めたというだけに止まらない特別な感慨があります。
よい機会なので荒牧小の「あらまき こどもの食事を考える会」の活動を紹介したいと思います。


前橋市立荒牧小学校では平成一八年の学校保健委員会で児童の朝食をテーマに取り上げることを相談しました。その際、校内だけでなく家庭も地域(学校医、学校歯科医、学校栄養士)にも参加して貰い、地域ぐるみの「食育」活動として継続的に取組んでゆこう・・・と話し合われ、PTA会長を会長とし学校が事務局となり「食育の会」が発足しました。
翌一九年一月、五・六年生の朝食アンケートを実施。その結果、児童の九割が毎朝朝食を摂っていることなどが明らかになりました。会ではこれを一方通行に終わらせず保護者に返してゆこうと話し合いました。結果を冊子にまとめ、栄養士による献立の栄養バランスの情報を載せる、出された意見、質問には校医、栄養士がコメントを返す、集まりを長続きさせるため会議は一時間に限定する。など様々な工夫、アイデアが出し合われ、熱の入った活動が開始されました。
同年六月には会名を「あらまき こどもの食事を考える会」に改名し、愛称も「あら食」に決定。以来、平成一九年度には、「簡単朝ごはんレシピ集」。
平成二〇年度、「我が家の伝統食・行事食」。
平成二一年度、「フードロス(ゼロ)を目指して」。
平成二二年度、「えいよう、健康、ありがとう」。
平成二三年度は「旬の野菜を食べて免疫力を高めよう」、など毎年決められたテーマに応じ調査活動を行い、この報告とともに若い保護者の日々の食事に参考になる献立集が掲載された冊子が次々に刊行されました。
冊子の表紙には食べたいものなど子供から親へのメッセージ欄も設けられ、校医、学校栄養士らのアドバイスもうまく盛り込まれ、親にみて貰う工夫が凝らされました。
校内では保健委員の児童が下級生の教室に出向き保健活動の成果をスライド形式で発表するなど、創意的な学級活動も行われています。


この結果、荒牧小は平成一九年から五年連続で県の健康推進優秀校に選ばれています。平成二一年には全国優秀PTAとして文部科学大臣表彰も受賞しました。全国の模範なのです。荒牧小のホームページには「あらまき こどもの食事を考える会」のコーナーがあり、これまでに発行された冊子が掲載されていますので、ぜひご覧ください。


最近の学校はいじめや不登校などが多発し、親はモンスターペアレント化し公教育は危機的な状態にあるかのようぬい考えられがちです。しかし荒牧小は違います。他校の様子は分かりませんが「あらまき こどもの食事を考える会」の活動は児童の学校保健活動が各家庭、地域社会とよい関係で影響を与えあっている貴重な成功例だと思います。
学校は地域社会の中心です。学校が家庭と保護者を正しく把握し、まともな行動を呼びかければ確実な反応が返ってきます。もちろん毎年、学年が変わるとPTA役員は揃って変わり、校長先生以下教員も異動がありますから、特定の事業の継続にはそれなりの覚悟と心得が必要です。しかし、少しの情熱と工夫と努力があれば地域社会の可能性はまだまだ大きいと思います。


開業医の仕事は、日常診療のほかに学校医、産業医などがあります。どの医療機関でも地域住民の健康を願い日々医療を行っていますが、学校や企業などで行われる保健予防の活動は残念ながら軽視されている現状にあり、不十分だと思います。
今日、疾病構造は変わり医療は生活習慣病対策が中心です。生活習慣病は啓発、健康教育、食事の摂り方の教育が極めて重要ですが、成人になってからの教育は困難なものです。子供の頃から正しい理論を身につけることが大切なことは論をまたないところです。荒牧小の学校保健活動はこうした社会的な健康づくりの要請に応える貴重な経験です。
校医をお勤めの先生方は、ぜひ一度「あらまき こどもの食事を考える会」の活動を参考に各々の学校で紹介していただければ有難いと思います。

すでに到来している少子高齢社会の現実の中で、若い人たちの育成ほど大切なものはないと考えていた矢先の今回の表彰でした。荒牧小校医としての表彰は、私にとって最も嬉しいことでした。
身に余る光栄と思いつつ五月一七日、群馬会館での表彰式に夫婦して参列しました。「これからも後輩育成にため一層の努力を」との天の声が聞こえたような気がします。

平成24年10月
前橋在宅ケアネットワークの会機関紙「ささえあい」69号掲載

十七年間の活動を振り返って

 

NPO法人前橋在宅ケアネットワークの会
定例総会での理事長 退任のことば

十七年間の活動を振り返って

 

ことし五月十九日の総会で本会は新たな理事長に中田裕一先生を迎えました。有能な若い世代に無事バトンタッチでき、ほっと安堵すると同時に心から嬉しく思います。退任にあたり少し長くなりますが、私が本会から得たことを書いてみたいと思います。
私が本会の代表となりましたのは一九九五年二月のことでした。今は亡き後藤忠夫先生のよびかけで、故藤沢慧先生、現在も活躍中の富沢隆先生と私とで在宅ケア研究会の発足を相談し、その第一回目の集りで私が会長ということになりました。当時はまだ介護保険制度もなく、わが国は世界に例のない急激な速度で高齢化を迎える。対策が急がれる・・・。と声高に叫ばれた頃でした。国の政策でも在宅ケアは住民参加型の地域福祉で担うとの考え方も示され、民生委員や地域のボランティの方々も活発でした。当時の本会は例会で各職種ごとに困っていることを出し合い、それぞれの現場で会員が協力しあう「ささえあい」の事例が次第に増え、ネットワークのもつ効果の素晴らしさに私は感動を覚えたものです。
一七年間、数多くの貴重で豊かな経験をさせて貰いまいたが、大きく分けて四つの時期があったと思います。

■地域福祉活動型の第一期
第一期は一九九五~二〇〇〇年で地域福祉型活動の時期です。市長(当時は萩原弥惣次氏)のご好意で事務局が市のボランティアセンター内(当時は緑ヶ丘町)に入居することできました。市のボランティア協議会と同居となった縁もあり協力体制ができ、市内十八地区に細かく医師と主婦ボランティアのリーダーらとの連携体制をつくりました。これを契機に東、上小出などの地区では公民館で勉強会やお茶のみ会を継続的に開くなど地区活動が芽生えました。また介護保険の導入に際して市内全域で市主催の説明会が開かれましたが、この時、この体制の各地区の医師が講師を務めました。これが全地区で実施できたことは忘れられない思い出です。

■介護保険がスタート 第二期
第二期は、介護保険が登場した二〇〇〇~二〇〇六年頃です。介護保険は在宅ケアの担い手の中心を市民ボランティアから介護事業者へと劇的に変えました。会員に若い介護事業者が増え、二〇〇〇年二月、本会はNPO法人となりました。翌二〇〇一年、会内のケアマネジャー数名が事務所で居宅介護支援事業を開業しました。
この時期にホームヘルパー養成講座も三回開催しました。仲間を増やそうとフリーマーケットも行いました。介護保険の草創期にふさわしい積極的で果敢な取り組みでしたが、残念ながらこれらの事業、イベントは長続きしませんでした。介護者の若者の離職率の高さはこの頃から顕著で、この解決なしに在宅ケアの充実は難しいと思います。

■いきいき館構想を追究 第三期
第三期は、「いきいき館」構想に関する二〇〇四~二〇〇八年の時期です。「いきいき館」とは私が考えた高齢者の共同住宅で、利用者の自宅からそう遠くなく通うことができ、病状悪化があれば短期入所、宿泊もできるやや大きめの集合住宅で、商店街の空き施設などを活用し保健師を常駐させたらどうか、との構想を市の幹部に話したところ、是非市の街づくり作文コンペに出してほしい・・・と要請され応募し、入賞しました。これをもとに市から大規模な「いきいき館」実施の打診があり、本会としても設立準備会をつくり図面や資金計画まで検討しましたが、莫大な資金調達はNPO法人では限界があり計画は中止となりました。この構想は現在の小規模多機能型居宅介護です。

■いきいきリハビリ会の第四期
第四期は、「いきいきリハビリ会」の二〇〇八~二〇一二年の期間です。脳梗塞の後遺症などで麻痺や障害をもつ有志が集まり自主的にリハビリの機会をもち、情報発信もしてゆこうと始められた会ですが、四年間にわたり九二回のリハビリ会が行われました。今年三月で閉会となり残念でなりません。会として具体的な事業をもたない本会にとって誠に貴重な活動でした。またの機会を待ちたいと思います。運営にあたられた関係者の努力に敬意を表します。ご苦労さまでした。

*
この一七年間の活動を通じて私はふたつの信念をもつことができたと思っています。
そのひとつは「フレンドシップは社会を救う」という信念です。本会は二〇〇一年二月、前橋市長(萩原氏)を招き、市民ボランティアとロータリークラブの方々に声をかけ、「フレンドシップは社会を救う」をテーマにシンポジウムを開きました。介護保険導入の翌年で、その周知をはかる狙いもありましたが、先行き不透明で寄る辺ない不安な社会に、語り合える友人こそかけがえのないものだとの私の問題提起が登壇者によって巧みに語られ、たいへん印象深い会でした。この記録が在宅ケアネットワークの会のHPに残されています。当時の貴重な資料です。ご一読下さい。
http://www.npo-sasaeai.net/enkaku/img/sympo01.2.22.pdf

*
もうひとつは高齢者の健康管理への信念です。私は医院での外来診療に加え、在宅患者への訪問診療を重視する診療体制をとっています。訪問診療は衣食住、人間関係にわたる患者の生活全体が把め、病状と介護関係が正確に把握できます。在宅医療の決め手は医師と患者、ケアスタッフの信頼関係です。多くの場合、医療はそれほど重要ではなく、大切なのは食事、運動、心の平穏でありフレンドシップなのです。六〇兆個の細胞からなるヒトの生体は、毎日の食事で細胞に栄養を送り続ける必要があります。適度な運動と家族、介護者との人間関係の中で高齢者の健康は守られ、これをコーディネートするのが主治医です。私は本会の皆さんとの現場での連携の中で質の高い在宅ケアを学び、経験し、それを信念とすることができたと思います。
忘れられない患者さんのひとりに宮永マスさんがいます。彼女は遺産の全てを本会に寄付された方ですが、私とは患者と主治医の関係で三〇年来のお付き合いでした。時には友人、時には親子のような信頼関係でした。九四歳の最後の看取りは病院でしたが、ケアマネジャー、ホームヘルパー、ボランティア、訪問看護師、行政書士、二四時間カバーする家政婦さんな職種が力を併せて在宅での末期を支えました。こうした貴重な経験を今後は次世代に繋げてゆきたいと考えています。

*
最後になりますが、私、斎藤は今後は一理事として本会の活動に参加して参る所存です。「生涯現役」で新理事長に協力しつつ「高齢者の住みよいまちづくり」と「在宅ケアの充実」を今後も目指して参ります。皆様のこれまでのご支援とご協力に心より御礼申し上げ退任の挨拶と致します。有難うございました。

    平成24年6月
前橋在宅ケアネットワークの会機関紙「ささえあい」68号

いきいき館構想

 

“いきいき館”構想については、忘れられない思い出があります。
2004年秋、前橋市の中心商店街活性化を目的とした作文コンテストがあり、これに「まえばし街中、リハビリテーション構想」と題して応募したところ、みごと入選しました。
時代の寵児としてのNPOが、街づくりと高齢者の終の棲家とを両立させた構想をもっている・・・と関係各方面の注目をあびました。
いま思えば懐かしい思い出です。記録として掲示します。ご一読下さい。

 

 

まちづくりのアイデア 応募作文 その①
発想の転換で、前橋中心街を「リハビリテーション」の全国的拠点に!

 

まえばし街中(まちぢゅう)リハビリテーション構想

前橋の中心商店街の空洞化がかくも深刻に進んだ原因は、80年代の地価の高騰とモータリゼーションに伴う商業、流通の近代化、大型化、郊外化に対するまとまった対策が中心商店街によって十分行われなかったことによるだろう。その後に押し寄せるバブル崩壊と消費不況によって、個別の危機感や対策へのアイデアや行動はことごとく封じられ、衰退に歯止めがきかなくなった現状にあるものと思われる。

まだ経済成長の余韻があった80年代。近未来、世紀末をどうみるかについてよく用いられたキーワードは「高齢化、情報化、国際化」であった。機敏な企業とは意思決定方法を異にする商店街や自治体がこれらの予見に対応できなかったことは、無理からぬことかもしれない。しかし同年代を成功裏に切り抜けた都内の巣鴨や早稲田の商店街の成功例は存在する。これらをみると時代の変化や人々の価値観の変化を捉え「バリアフリー」「環境」などの社会的テーマを掲げたまちづくりが系統的に取り組まれ、商店街が時代に取り残されることなく核となって社会的要請に応えた牽引者となったことが語り伝えられている。

目立った文化的経済的資源をもたない地方都市では、今日、ほぼ例外なく同じ凋落の憂き目に苦しんでおり、これは前橋に限ったことではないだろう。「水と緑と詩のまち」が打ち出せるいくつかの好条件が残されている点で、前橋はまだよいほうなのではないか。
中心商店街に昔どおりの活況や賑わいを復活させる一発解決の名案などあるはずはない。要は、時代の要請を先取りしたテーマ性を掲げ、まちづくりの関係者が目標を共有して力を合わせることが重要なのである。

ところでわが国では少子高齢化が急速に進み、その結果これまで「家族、イエ」単位で行われてきた人間の生涯にわたる“生老病死”に対するケアが、核家族化その他の理由によって家族だけで支えることが困難になってきている。このことは今日、連日のように目を覆うような虐待や殺人の報道があとをたたないが、家族・家庭の崩壊とともに人格的崩壊が進行していることの証左であろう。事態は深刻であり、他人を信頼することができる地域社会の再生は待ったなしである。商店街ついても単に商業的集積地の復興策ではなく「人が生活面において多様な必要で集う場所」としての捉えなおしが迫られていよう。

こうした折、平成12年の介護保険の導入を契機に、家庭の介護力の喪失に対応して「介護の社会化」が強く要請され、まちづくりに関わる社会的な提言や指針も出されている。そのひとつが昨年の6月に厚労省老健局の諮問機関「高齢者介護研究会」が出した政策提言『2015年の高齢者介護~高齢者の尊厳を支えるケアの確立にむけて~』である。
この提言は、団塊の世代が老年期を迎える2015年までの介護論を展開している。高齢者が尊厳をもって暮らすためには、高齢者自身が「自助」の努力を尽くし、地域における「共助」の力を活用し、「公助」としての介護保険や公的負担を合理的に減らしつつ、これを適切に組み合わせて活用してゆくことが国民的課題であるとする。そして新しい住まい方として、老後は子供の世話にならず同居を避け、介護サービスをもった集合住居、ケアハウス、介護付き有料老人ホームなどに要介護になる前から住み替えるライフスタイルが定着すると予測する。そして現在、こうした介護つきの居住サービスが事業的に延びていることを報告している。
本会が「いきいき館」構想としてこれまで各界に提言してきたのは、この介護付き集合住宅に在宅ケア関係のサービスやNPOの活動拠点の機能を加味したもののことである。

さて、人の“生老病死”に対するケアとは、こども期の養育、病時の看護、高齢期の介護、死に際しての看取りをいう。いずれも医療の果たす役割が大きい。前橋市は人口10万人対比の医師数では全国有数の恵まれた市である。しかし医療、福祉は公的セクターに分類され、その立地は郊外を選びやすく、まちづくりの要素として語られることは少なかった。しかし今日、企業、学校を除き、朝から人が詰めかけ、賑わう場所は病院をおいてほかにはない。

そこで提案である。中心商店街のまん中にリハビリテーションを中心とした病院を置いたらどうか。リハビリテーションとは失われた機能を回復するこという。一方、ハビリテーションとは「更正」を意味し、備わった力を発揮し、よりよく生きることをいう。この概念は能力の有無を問わず、住む、働く、余暇を自由に過ごすことを重視する北欧の人々と、何より当面の衣食住を優先する日本人の生活観の差を対比した障害者福祉の観点からの議論である。こうした視点からのリハビリ、ハビリテーションの具体的な展開は未だ不十分で課題も多く、まさにこれからの分野である。こうした問題解決をめざす研究・施療施設を中心街に誘致し、全国いや世界に通用する医療センターを目指したらどうだろうか。

そして周囲にケアハウス、有料老人ホーム、介護付き賃貸住宅、われわれが提案しているNPO拠点「いきいき館」も配置する。むろん病院に勤務する者のための簡便で安価な住宅も用意し、じっくり人口増加をはかりつつ商店街の活性化を図ったらどうか。
すでに整備された「水と緑と詩のまち」の魅力に加え、医療・福祉に近接した中心街の洒落た下宿群に入居する人口は確実に増えるはずだ。 かくして前橋の中心街は賑わいを取り戻す。

 

 

まちづくりのアイデア 応募作文 その②
まえばし街中(まちぢゅう)リハビリテーション構想の戦略的拠点

 

広瀬川遊歩道横に「いきいき館」一号館を

「いきいき館」とはNPOのケアサービスが備わった集合住宅をいう。1996年以来、前橋・在宅ケアネットワークの会が前橋市に提案してきたもので、「自助、共助、公助」の理念のもとに、【入居者が資金を/自助】、【NPOがケアサービスを/共助】、【市が土地を/公助】、それぞれ提供して運営される共同住宅である。

場所は旧勢多会館あと地がよい。街中にあることは入居者が孤独に陥ることを防ぐとともに中心商店街の活性化に大きく効果がある。広瀬川遊歩道、水と緑と詩の街の中心点に位置し、入居者の誇りとなる。商店街と接したこの地点に新たなコミュニティの創造を意識した「いきいき館」一号館を建設したい。建物は5階建。約30名のヤングオールドが生涯を安心してまっとうできる居室群を備え、行政、診療所、ケアマネ、訪問看護、ヘルパー、法律家、Vrなど生活関連の諸サービスが集積された場として実現したい。

■一階は医療、保健、NPOスタッフによる多機能サービスの空間。
①医療(クリニック)のフロア
②ケアマネジメント(訪問看護、ホ-ムヘルパーSt)のフロア
③NPO事務室 (ボランティア)のフロア
・NPOの企画で「市民のくらし・健康なんでも相談室」等を常時開設する。
■二階は楽しい空間。食事、趣味と教養、スポーツ・レクリェーション機能。
①科学的で難しくない学習のフロア (音楽、文学、講話、学生らイベント)
②保健とスポーツのフロア(筋トレ、レク、リラックスの健康増進指導等)
③レストラン (地産地消、手作り、郷土食。料理講習会。抹茶とお菓子)

三階から五階は居室。
二種類、各   室  計   室を設ける。
Aタイプ
Bタイプ

屋上には入浴室(居住者専用)と物置を置く。

■入居金 共益費 その他費用等
「いきいき館」は入居対象を高齢者のみに限らない。入居規定に則り、希望すれば若者でも、単身者も家族も入居可能な、いわば終身利用権方式のケア付マンションである。したがって補助金を伴う介護施設ではない。入居条件は以下の通り。

入居者は仲良く支えあい、健康で文化的な生活をめざす。
入居者は自助、共助、公助の建設理念に賛同し、居室を清潔に保ち次世代に残す。
その他
超高齢化時代のまちづくりは、その根幹に在宅ケアサービス調整の機能、すなわちケアマネジャーによる老いの過程に対応した適切なコーディネート機能を中心におく必要がある。介護保険導入から三年が経過し、財源的にも介護は施設から在宅へと転換を迫られている。いわゆる高齢者むけケア付き集合住宅は、これまで有料老人ホームとして主にリゾート地などを選んで建設されてきた。これら特定施設は行政の許認可条件がとりわけ厳しいが、その理由は、既設の事業体の多くがハード面のみ偏重して、入居者の生活の質、老いの過程に対応したケア、地域との関係などのソフト面が欠落していたことが原因である。

NPO前橋・在宅ケアネットワークの会は、介護保険の導入前から困難な介護家庭への「ささえあい」活動を行い、高齢者所帯の病院の入退院の送迎や手続きなどの援助、退院後の往診治療や住宅、居室改造、話し相手派遣等、さまざまな医療、介護のニーズに会員の各職種が連携して対応した経験を蓄積している。介護保険導入後は独立したケアマネジャーを複数常勤させ、いずれの施設にも属さない利用者の立場に立ったケアプラン設計を行い、介護サービス全般にわたる情報集積と介護のコーディネート業務を行ってきた。
自助、共助、公助による「高齢者のすみよいまちづくり」「街中リハビリテーション構想」の担い手こそ、当NPOがまさに好適なのである。

今日、介護予防の研究は長足に進み、運動リハビリテーション、スポーツ、レクリェーションを織り交ぜた親しみやすい運動療法が研究機関により日々開発されている。仲間、友人との交流による積極的な行動療法により、加齢によるさまざまな疾病が実際に大いに改善し、介護費用の削減に貢献可能であることが科学的に明らかになっている。
「いきいき館」ではクリニックの医学的な指導とNPOの在宅ケアサービスと、行政の保健サービスとを入居者のみでなく地域全体に提供する。日常の健康管理、食事や運動トレーニング指導など、行政が行う介護予防策を効果的に社会的に普及する拠点機関ともなるのである。

まず「生き生き館」一号館をNPOの拠点として中心商店街に接して建設しよう。広瀬川遊歩道と弁天通り商店街にいつも人が行き交い、賑わいを取り戻す第一歩としよう。
かくして「いきいき館」一号館は入居者はもとより日中は地域の主婦らが、夜は勤労者や若者が集まり、体力づくり文化教養のセミナー等が活発に行なわれ新たな文化的拠点となる。

二号館、三号館も賛同者の名乗りがあり、すでに視野にあり立ち上げ可能となっている。

 

 

まちづくりのアイデア 応募作文 その③
まえばし街中(まちぢゅう)リハビリテーション構想の戦略的拠点

 

「いきいき館」サービス【ソフト】の特徴

「いきいき館」はNPOによるケアサービスが付属した「自助、共助、公助」の三要素が揃った新しい高齢者の共同住宅である。入居者の多くは介護をまだ必要としない健常で溌剌とした高齢者が多いはずだ。この利用者に対し「終の棲家」として老いの過程すべてにわたり安心して老後が全うできる諸サービスを提供するのが「いきいき館」の使命である。
健康づくりと介護予防への貢献、そして前橋中心街の活性化、高齢者全体の住みよいまちづくりへの貢献と「いきいき館」の果たすべき課題は大きい。この使命遂行においてもっとも重要となるのが入居者のQOL(生活の質)を向上させ、生きがいをもって余生を送るための「いきいき館」サービス【ソフト】である。

-ハード面-
まずハード面の特徴を整理しておきたい。「いきいき館」一号館の居室はすべて最新のバリアフリー仕様とし、夫婦で利用可能の広さを標準とし大胆に広くする。全室インターネット、ブロードバンド対応。障害をもっても自立した生活が可能なよう配慮し、居室入り口ドアは引き戸とし、段差なく車椅子での館内移動が可能とする。各室の洗面化粧台も車椅子対応とする。

居室は三タイプ〔Aタイプ77.52㎡(23.44坪)10室 Bタイプ70㎡(21.17坪)15室 Cタイプ60.㎡(18.15坪) 5室 計30室〕3階~7階までを占める。屋上は庭園とし運動が可能な広場を設ける。
1~2階は市民との交流スペースとする。2階にはトレーニング室(223㎡67.5坪)、大浴室(男女別)、多目的ホールを設け、広く希望者が利用できるようにする。
1階には
a)診療所兼保健相談室
b)NPO前橋・在宅ケアネットワークの会
c)レストラン
などが入居する。

高齢者施設への入所はともするとその安楽な生活を“ゴール”としがちであり、集中して何かに取組むことなく無感動に生活のマンネリズムに陥りがちである。憲法には国民の義務(勤労、納税、義務教育)が謳われており、生涯にわたって健康が維持され、適度な社会参加と生きがい(幸福感)をもつことが老いてなお理想であることはいうまでもない。「いきいき館」は入所後の活動が多彩に展開され「豊かな老後」が無理なく自然に達成される場でなくてはならない。

一般に高齢者のQOLの向上、生きがい確保は「健康維持」「経済の安定」「心の満足」の三本柱で構成される。一号館入居者は経済的安定度の高い人が多いと予測されるから「健康維持」「心の満足」が主要なサービス目標となろう。
このサービス提供はNPO職員によってささえられる。この職員集団が一丸となりサービス【ソフト】の開発とその質の向上につとめなければならない。

-食事-
「いきいき館」のサービスの中で最も重要なのが「レストラン」である。四季の旬の食材を取り入れた「家庭料理」の提供を基本とし、栄養バランスに配慮した献立を毎日三食提供する。一階クリニックでの健康管理の下で必要なカロリーコントロールの献立も実施する。家庭料理とは、何十何百食を同時に作り、一様に膳に盛る給食とは異なり、食べる者のその日の体調、心のあり様などを勘案し、できるだけ新鮮な材料を使い温かく食べやすく配慮された調理で、くつろいだ環境で振舞われる食事をいう。
「いきいき館」一階のレストランで入居者は朝昼晩一定の時間帯にゆけばこれを自由に摂れるシステムとし、さらに事前に要望すれば一定のメニューで外来客にも提供できるようにする。また居室への配膳サービスも注文に応じ可能とする。歳時、暦のイベントも企画し、郷土の食文化にふれる機会も設ける。

-遊びと学びのプログラム-
サービスで次いで重要となるのが、遊びと学びのプログラムである。入居者の自主的自発的な参加を前提に、「いきいき館」では毎月専門のスタッフにより三コースの企画が用意される。当然のことながらいずれも参加は任意、自由である。
①介護予防・健康づくりプログラム
すでに運動療法や介護予防、リハビリテーションにおける予防、健康づくりの効果が医学的にも介護認定上でも具体的に証明されるようになってきた。
入居者は一階クリニックにおいて定期健診を毎月実施し、この医療的助言にもとづき2階トレーニング室を活用して積極的な健康管理と介護予防、リハビリテーションを受けることができる。担当スタッフは先進大学の保健体育学や臨床医学の成果を身につけ、健康運動指導士等の有資格インストラクターとなり個人別の運動療法メニューを作成、個性にあった適切な指導を実施する。さらに県内の各種保健事業へのコンサルテーションも行い、行政の介護予防事業と協力しデータを蓄積し、この分野の学術的発展を培う研究拠点として実施、活動する。
これこそ「まえばし街中リハビリテーション構想」の実現の第一歩である。

②芸術・文化・観光プログラム
季節ごとの観光旅行、都内での舞台観劇、展覧会、音楽会等へのツァー等を企画する。入居者には常に良質な舞台、映画、展覧会、音楽会等の開催情報が提供される。担当スタッフは関係者の興味関心を把握し、NPO会員ほかひろく市民にも呼びかけ時にツァーを組織する。また海外旅行の企画や希望者へのアドバイスを行う。とくに海外へは従来型の団体観光旅行ではなく、外国のシニア団体や機関等と連携してテーマ性のある本格的な研修ロングスティを企画し、外国語研修も並行しつつ「いきいき館」が本格的な国際交流の拠点となることを目指す。

③こころ・社会参加のプログラム
入所者は人生の最終局面を「いきいき館」で過ごす。一般に日本人はその余暇をゴロ寝でテレビやパチンコなどで消費するのが主流とされ、音楽やスポーツも、多少のゴルフとカラオケというのが現実らしい。しかし「いきいき館」ではそのような貧相なプログラムは提示しない。あくまでも基本は自発性である。

NPO前橋・在宅ケアネットワークの会は介護保険導入当初から各職種による「介護なんでも相談」を行ってきた。また市の委託事業で軽度のボランティア活動も行っている。この活動はいまだ未成熟でボランティア行為の需給調整も成り立たない現状だが、ボランティア活動こそNPOの掲げる「高齢者のすみよいまちづくり」の根幹であり原点である。その整備発展に入所者は積極的に参加するよう呼びかけたい。無論、参加は任意自由。
入所者は死に至る過程、余生をより充実して生きるために「生きがい」を求めるだろう。そのために大切なことは入所者が長年にわたり蓄積してきた力を、適正に社会に還元する場の確保である。だが、入所者に対し一様に生きがいのプログラムはこれ…と安易かつ一方的に提示することは本来、誤りであり、喜ばれるサービスにはならない。まずは「いきいき館」の母体となるNPOのこれまでの介護相談窓口を、入所者の力を借りて一歩ずつ拡充すること。そして、可能であれば市民の「よろず相談所」として打ち出してゆきたい。各人の資格や技能を活かし、とくに空洞化と高齢化に苦しむ中心商店街はじめ地域社会の活性化策を示すなどのコンサルティングが可能となれば望外の理想である。

-看取り-
終の棲家として最後に必要となるのが「看取り」である。今日、住み慣れた家で最期を迎える人は稀であり、ほとんどの死は病院で発生している。「いきいき館」は入居者の最期をその人の部屋で最終的に看取る施設である。本人、家族のあらかじめの希望に応じて、尊厳ある最期のためにNPO多数の医師はじめスタッフが協力してこれにあたる。

今日、多くの人が家族の介護に頼ることなく、自ら様々なサービスを使い分け、老いの過程を過ごし、身罷る道を選ぶ時代となってきた。
「いきいき館」はこうした考えの人々が人生の最終局面を過ごし、死と向き合う場である。従ってこの人生の特異な期間をささえるためのサービス【ソフト】は、もっと豊かに議論される必要があるだろう。今後の議論と研究を待ちたい。「いきいき館」は自助、共助、公助の方法で設立され、加えて新らたなスタイルの高齢者住宅であり、さらには前橋中心街の活性化を課題とする挑戦的なプロジェクトである。

われわれは前橋・在宅ケアネットワークの会発足より10年をへて、また新たな時代を担うことになる。あらゆる知恵と力を集め「いきいき館」一号館を成功させたいので、何卒ご協力をお願いしたい。

 

診診連携による「在宅医療チーム」の発足

 

診診連携による「在宅医療チーム」の発足
NPO法人 前橋・在宅ケアネットワークの会
理事長 斎藤 浩

 

前橋・在宅ケアネットワークの会は、会員数160名の前橋市内の医療福祉のNPOです。医師の会員が多く60数名、主婦ボランティア、福祉従事者などが約100名いて計160名。「高齢者が住みよい町づくり」を合言葉に、すでに15年にわたり活動を続けてきました。
この間、「いきいき館」構想、「ホームヘルパー養成口座」、「有志ケアマネジャーによる居宅介護支援事業所」の開設、「いきいきリハビリ会」の発足などの取り組みとともに、機関紙「ささえあい」の発行により会員の各職種が垣根をこえて語り合う場を積み重ねてきました。
この会の歴史にいまひとつ新しい動きが始まりました。当会の在宅医療チームの発足です。

■医師部会
2009年6月2 9日、医師部会が開かれました。ドクター20名の参加のもとで、在宅医療の最近の傾向、胃瘻患者の増加、医療費の自己負担に耐えられない患者の増加傾向、など在宅医療の環境が次第に厳しくなっていることが話し合われ、器材薬剤等の共同利用はできないか、などのアイデアが語られました。
同年8月3日、第二回の医師部会が開かれ、17名のドクターが参加。吉野医師部会長の進行により、診診連携のネットワークづくりが話し合われました。
参加者からは、開業20年になるが2泊以上の外出はしたことがない。出かける時になると患者が悪化するので不思議。末期の患者がいると死亡診断書だけでも書いて貰える協力医がほしい。眼科、皮膚科、歯科の先生で誰に協力依頼したらよいか分からない。病院勤務医が超多忙なのだから偏在を調整する方法で連携を考えるべきだ、などの意見がだされ、診診連携による協力体制の具体化が話し合われました。

■診診連携のお誘い
10月25日、「診診連携のお誘い」が医師部会メンバーに出されました。文面には、カレンダーに向こう半年くらいの連携メンバーを決め、外出などの際に往診を代行しあう体制を作ろう…。と呼びかけられました。かくして8医療機関が呼応、「在宅医療チーム」が誕生した次第です。

■訪問看護Stとの連携
2010年1月25日「在宅医療チーム」は市内の訪問看護Stの看護師らを招き、懇談しました。在宅医療のパートナーとして訪問看護Stが重要となります。この日は、県看護協会、市医師会、ひかり、青梨子、城南、やまと、ニチイの7Stから参加があり、当会から「在宅医療チーム」に参加を…との申し入れに対し、各Stからは医師の訪問看護指示書に対しStでは組織的集団的に対応しており、個人の判断でのチーム参加は困難との回答が多く出されました。今後の連携については事例を積み重ねつつ模索してゆくこととなりました。

■当番表が完成
3月1日「在宅医療チーム」の当番表が完成。
市内北と南に分かれ右の表に基づき診診連携を
とり在宅医療に取り組むことが決まりました。

 

2010年 月
北方面
南方面
3月
斎藤
富澤
4月
吉野
八木
5月
宮石
新井
6月
松澤
中田
7月
斎藤
富澤
8月
吉野
八木
9月
宮石
新井
10月
松澤
中田

 

食事調査によせて

 

荒牧小学校校医(内科) 斎藤 浩

 

本校では数年前から「早寝・早起き・朝ごはん」の運動が積極的に推進され、朝食レシピ集などが発行されるなど、熱心な学校保健活動が取り組まれてきました。その内容は、群馬県のみならず全国の健康推進学校優秀賞を受賞し、全国でも第一級の優れた活動として評価されています。学校と地域社会が連携して児童の食事を考える会が誕生したり、学校保健委員会の児童が自ら下級生のクラスに出向き、活動の成果を伝える出前講座を行うなど、創意にあふれた活動が行われ、校医として誇りに思うとともに、学校保健に関わる先生方の情熱と、保護者の方々の見識の高さに驚いています。

私は本校の創設以来、ずっと校医を勤めさせていただいていますが、過去に給食についての調査はありましたが、児童の家庭の食事についての調査は初めてではないかと思います。
当たり前のことですが、人間の身体は、その人が食べた物によってすべて出来上がっています。ですから人間にとって食事ほど大切なものはありません。しかし、あまりにも身近な日々の営みのため、人々はグルメの話はしても食べることについて系統立てた関心をもたないのが現実です。医学の世界も同様で、疾病や薬の研究は著しく進歩したのに比べ、食べ物が消化器で分解された後、どのように吸収され、血や肉になってゆくか…などの研究は比較的遅れているのが実態です。

一般に食生活の調査はたいへん難しいとされています。何を、どのように食べようと、それは個人の自由。大きなお世話だ、といわれればそれまでです。しかし今回の調査では、こうした困難な諸問題を委員会での活発な討論で乗り越えてきました。設問では、家庭の食事について、子どもの好き嫌いとその解決例、マナー、楽しさ、そして献立を考える時のポイント、について聞いています。よく考えられた設問であり、集計中の回答を拝見し、よくぞここまでまとめたものだと私は感動した次第です。

回答の傾向をみますと、設問1.こどもの好き嫌いを教えて…の問いは、設問6.の献立考える時の一番のポイントは…の問いに関連しています。なぜ好き嫌いをしないことが大切か、といえば栄養の摂取が偏らないようにしたいからに他なりません。設問6の回答者の半数強が「栄養」と答えていますが、この数字はもう少し高くてもよいかも知れません。2年前、荒牧小では「早寝・早起き・朝ごはん」の運動を取り組みました。そのとき掲げた標語を思い出しましょう。
・「腸にスイッチ」(主食/炭水化物。ご飯、パン、うどん、芋、油脂類など)
・「体温にスイッチ」(主菜/タンパク質。魚介、肉、卵、乳製品、豆類など)
・「脳にスイッチ」(副菜/ビタミン群。野菜、海草、菌茸類、朝の果物など)
・「心にスイッチ」(家族一緒) というものでした。
今後の課題として、この主食、主菜、副菜の栄養素の分類法をより多くの方が日常的に使いこなせるようになってほしいと思います。

今、日本の食事・和食が世界から注目されていることはご存知のことと思います。自然の食材から朝、昼、夕の毎日三回の食事で摂る日本の家庭料理の栄養バランスは世界一です。

このことを私たちはよき伝統として次世代に伝え残したいと思います。今回の調査は、こうした考え方から、各家庭に児童の成長過程に応じ適切な食習慣を作って貰うことを願って実施されました。わが国は少子高齢化と人口減少の時代を迎えています。児童の躾(大人も含む)や高齢者の在宅介護等に“家庭力”が問われる時代が到来しているといえます。この調査結果が、すべての荒牧小児童のお宅の “家庭力”アップのきっかけになることを願ってやみません。

 

M様のこと。~ 弔 辞 か ら ~

 

喪主 前橋・在宅ケアネットワークの会
理事長 斎藤 浩

 

私は昭和52年8月から約30年間、Mさんの主治医を勤めさせていただきました。私はMさんの主治医でもありましたが、時には友人であり、時には親子のようなお付き合いをさせていただきました。
ご主人が昭和49年9月15日に亡くなり、以来、Mさんは前橋市南橘町の県営アパートの4階にずっと独居生活をされていました。
当初、往診の際、私が「ひとりだと何かと不便ですから、1階に移りましょう。」と説得しても、「いやです。ここにいます!」といわれ、終生、4階の部屋に住み続けました。
その後、ほぼ欠かさず週一回の訪問を続けてきましたが、医療の必要性は余りなく、ほとんどよもやま話をして過ごして参りました。
Mさんは、美しいもの、奇麗なもの、可愛いもの、モダンなもの、正直な人、優しい人が好きでした。音楽では、軽音楽や映画音楽、歌手では岸洋子、井上陽水の歌が好きでした。
いかにおしゃれであったかを物語るご自身のお話ですが、戦時中、日本の女性はほとんどモンペ姿でしたが、Mさんは、モンペが嫌いで、とうとう一度も履かなかったそうです。そういう方ですから、普段から自宅では素敵なガウンを羽織っていました。部屋の中にはヌイグルミの人形がたくさん置かれ、若々しい雰囲気のお部屋で生活されていました。
訪問し、二人で話し込んでいる時には、とても90歳を超えた一人暮らしの女性とは思えない、華やかで思量深く、好奇心に満ちた若々しい知性豊かな、誠に稀有の方でした。
この30年間で、マスさんは4回入院されています。2回目の平成13年1月に右大腿骨頚部骨折で入院して以後、「私はどんなことがあっても絶対に入院はしませんから。」といい続けてきました。
その年の7月、「先生、寂しいから、毎週2回来て下さい。」といわれ、私はそのようにしてきましたが、実はその一年ほど前から「寂しい、夕暮れから夜になるととても寂しい」と訴えることが多くなり、医学的には「うつ病」の症状があり、加えて、もの忘れも目立ってきました。認知症でもあったと思われます。(パキシル10mg 1日1回夕食後服用)
のちにはローテーションで24時間の家政婦さんもお願いするようになりましたが、多くの関係者の支援をえて、Mさんはその人生を全うされました。
平成17年10月、胃腸障害で飲食ができなくなり、在宅での一人の生活が次第に困難な状態となりました。10月21日に訪問看護が入りました。鈴木陽子看護師にお願いしました。11月12日、Mさんと行政書士のK氏、ご主人の友人の息子であるI氏、そして私との四人で話し合いをもち、遺言書を作成することになりました。そうするうちにも体力低下が顕著となり、12月4日、「絶対に入院しない。」と言い続けてきたMさんを口説き落とし北関東循環器病院に入院することになりました。
北関東循環器病院では、中心静脈栄養IVH療法を受け、その後の社会復帰を目指しました。北関東循環器病院でのMさんは個室で過ごし、「もう私は、自宅に帰りたくない。ここにずーっと居たい。」と入院生活に安堵しておられたのですが、咽喉に痰がつまる症状が酷くなり、かなり苦しい病態となりました。病院では速やかに?痰処置が行われ、回復に向けた生活が始められたものの、全身状態はよいといえる状態ではありませんでした。年が明けて平成18年1月5日、胃瘻造設術を受けました。その後は経管栄養療法となり、1月18日に城南病院に転院することになります。
時にお見舞に伺っていた私は、この冬、一定の体力が得られるまでは、このまま個室での入院生活を送らせてあげたいと願っていたのですが、病院からリハビリを行ってほしい、と早期の退院が求められました。
やむなく、城南病院に転院しましたが、受け入れてくれた担当医は、全身状態の悪さを「想定外」であったと漏らしていました。もっと落ち着いて医療を続けて貰いたかった、と心残りに思っています。
平成18年1月24日 午後9:10死亡。
享年94歳でした。死因はARDS (adult respiratory disfress syndrome) 成人呼吸促進症候群という病態で、所謂、呼吸不全でした。
前日の夜、亡くなるちょうど24時間前、私は6人部屋のマスさんのベッドサイドにいました。Mさんは、電気!、電気!、暗い!、寂しい!、死にたい!、助けて!、神様!と叫んでいました。そしていつまでも枕元にいる私に「先生、もう帰っていいよ」と2回ほど言いました。
医師である私は、もうダメか!、ダメだ!と帰りの車の中で口ごもりながら帰ってきました。
Mさんに「私の斎藤先生」と言われたことは医師冥利につきると思います。医師と患者という間柄ではありましたが、本音で話し合える友人でした。70歳になる私の心に、いつもいつもスパイスを効かせてくれた、私のお宝の友人でした。 30年間にわたり多くの方にお世話になりました。
Iさん。社協ケアマネジャーのIさん。NPO前橋・在宅ケアネットワークの会のSさん。行政書士のKさん。訪問看護師のSさん。
ありがとうございました。
皆様 本当にありがとうございました。

(平成18年1月27日 告別式で)

Mさん 大正2年4月5日生  前橋市南橘町1-15 県営住宅4階
平成18年1月24日永眠

※呼称はイニシャル表記とさせていただきます。

私の在宅ケア

 

NPO前橋・在宅ケアネットワークの会
理事長 斎藤 浩

 

在宅医療のゆくえ

介護保険が施行されて三年が経過しました。虚弱老人を抱える家族からもこの制度の使い勝手や保険料の値上げの是非などについての発言がきかれるようになりました。
一方、医師の側では認定審査には励むものの、実際の高齢者介護や医療についての発言や行動が次第に後退しているように思われます。介護施設があちこちにでき、介護保険サービスが膨張すれば、われわれ開業医の在宅医療の機会は減少するのは当然のことかもしれません。これからの医療は医師が市民と対等の立場にたって医療サービスを提供しなければならない時代です。私が在宅医療に取組むのは、開業医の将来に対する危機感からです。開業医が地域住民にとって必要で大事な職業と評価されている現在のうちにあるべき開業医像を模索しなければならないと思うからです。

 

事例① 手を合わせ帰りたいと泣く

元警察官のAさん(90歳)は86歳の奥さんと二人暮らしです。
当院で血圧管理をしつつ毎日近隣の神社の庭掃除を勤めるなど律儀で評判の人ですが、5月初旬に自宅居間で倒れ、即刻A病院に入院。CTで左後頭葉皮質下出血がみとめられ脳内出血と診断されました。高齢のため手術は行わず保存的治療を行いましたが言語障害が残りました。6月初旬に退院となりましたが、退院に際し病院から「言語障害が酷く痴呆症状を呈し泣いてばかりいる。自宅療養は困難であり言語リハビリが可能な病院に転医を」とすすめられたといいます。様子を見に行くとAさんは手を合わせて帰りたいと訴えているのです。東京在住の息子さんも駆けつけ、状況から商売をたたみ帰省して介護にあたることを真剣に考えるといいます。私は病院を移る道は選ばず「家に帰そう、泣いているではないか」と退院をすすめました。ケアマネジャーを呼び、急ぎ介護認定手続きをとりケアプランを検討しました。ケアマネジャーはあえて息子さんが帰省しなくても在宅で支えることが可能ではないかと提案しました。息子さんは悩んだ末、主治医とケアマネジャーの連携を信頼し「よろしくお願いします。」とおっしゃり、病院の意図に反し在宅療養となりました。以後、自宅でヘルパー、訪問看護などを集中的に活用し、予後は良好、Aさんは約一ヶ月間で意識清明となり言葉も話せ、元の生活に戻っています。夫人の年齢も高く在宅での条件は必ずしも十分とはいえませんでしたが、病院間を移動した場合を想定すると在宅復帰で正しかったと考えています。不安に陥った家族が主治医の判断とケアマネジャーの提案を信頼してくれたことがなにより嬉しく思いました。

 

地域に根ざした医療

開業医の特性は地域に根ざした医療といわれます。次々に作られる老健や特養、そして市町村の介護保険課や福祉課、訪問看護ステーション、ホームヘルプステーションなど、さまざまな福祉サービス機関が増えています。自治会やその元でのボランティアによる弁当配達などもあります。これら最寄りの諸機関がどのような仕事をしているかをご存知でしょうか。行政が一元的にこの周知をはかることをしないため、なかなか見えにくいのです。これを知らずして主治医は勤まりませんが、新規事業者あるいは住民ボランティアなどの場合もあり、これらにはもちろん問題点も多くあります。
本来、介護保険ではこうしたサービス提供者を承知する役割はケアマネジャーとされますが、この職種はまだ未成熟で施設や病院から独立して中立性を保つ者はほとんど存在せず、属する機関の営業担当として機能しているのが現状のようです。
この反作用として主治医の意見書を非公開とする例が増えていると聞いたことがありますが、これは大きい誤りです。縄張り意識だけでは世の中は通用しなくなっています。また社交辞令も意味を持ちません。患者家族の生活上の問題と相互の役割を話し合い、互いに認めあうことが大切です。心あるケアマネジャーらに聞くと、開業医の敷居がもっとも高いといいます。開業医はこれら虚弱高齢者を支援するための、新らたな勢力の台頭とその育成に喜んで力を貸し、患者家族とともに厳しく評価しつつ指導的に振舞うことが求められています。

 

事例② 尿管留置カテーテルがとれた

心不全で来院していたBさん88歳女性。92歳のご主人と二人暮し。平成13年暮れ大腿骨頸部骨折でO病院整形外科に入院、手術。一ケ月後に退院しましたが術後不完全で歩行困難となってしまいました。老夫妻のため制限された生活を余儀なくされ日常の生活レベルは低下し、14年8月にはねたきりとなってしまいました。9月末、大腿骨の術後不完全が増悪し、このままでは共倒れの危険があると判断してK病院に入院、リハビリを実施。10月中旬、尿管留置カテーテルをつけたまま退院。老父妻は移動手段がなく町内で活動中のボランティアが支援、社協の福祉車両を借りて送迎、入退院時の手続き代行を行っています。ケアマネジャーが床、ベッド、手すりなど起居しやすい機器を整備。ケアプランに鍼灸マッサージの在宅サービスを組入れました。鍼灸マッサージの往診が功奏し骨折部の回復が著明にみられ、今年6月、当院にて留置カテーテルを抜去し、Bさんは自分でベッドサイドのポータブルトイレで用を足せるようになりました。近隣住民が声をかけあいその後の通院援助も行い、老夫妻を支えた好事例です。症状の回復に老夫妻はもとより町のボランティアあげて喜んでいます。

 

地域のコーディネーター

元来、主治医は個性ある患者家族の多様な要求に、常にトラブルを強いられるものです。しかしこれをわれわれは一方的に制圧してきたように思います。主治医の役割とは患者や家族の療養上の望みを実現するために働き、これを喜びとするコーディネーターにほかならないのであります。
介護保険の導入に先立つ平成11年、かかりつけ医制度が各地でとりあげられました。この制度は、疾病構造が変化し、生活習慣病や老人性の慢性疾患が今後増加することが予測されています。これを予防するため国民はかかりつけ医を明らかにし、きめ細かく継続的に診てもらうように。一方、かかりつけ医は病気の治療だけでなく生活習慣の改善などにも気軽に相談にのり、必要に応じて往診し自宅での療養生活を身近なところで支える。というものでありました。穿ってみれば介護保険に必要な主治医の意見書を円滑に引き出すための政策だったともいえましょうが、今日の開業医の基本的な課題を言いあてています。
これをきっかけに医療側から在宅ケアのネットワークを形成する試みが県下でもあちこちで行われましたが、その後かかりつけ医への実効ある制度化は実を結んではいないようです。

 

いきいき館構想

私は現在、三十例程の訪問診療を取り組んでいます。患者家族と話すと、住みなれた家で療養生活を送りたいと、ほとんどの家が在宅指向です。目下県内で5千人もが特養入所を待機中だといいますが私にはその実感がありません。患者さんたちは「いつかは入院が必要となるだろうが、そのときは先生頼む…」と言うのです。患者家族と主治医とに信頼関係があればそうやすやすと施設への道を選ぶとは思えません。この傾向は、開業医が住民から当てにされなくなったことの証左ではないでしょうか。
在宅ケアは病状が重くなるにつれ、家族の負担が増大します。したがって施設は必要だが、これを遠方の特養施設ではなく、より身近で簡便な小規模施設で吸収できないかと、考えているのが「いきいき館」構想です。この構想は、地域ごとに最寄りの高齢者を対象に、入居、ショートスティが可能で、食事、風呂、居間があり、下宿屋規模の大きさで、医療は近隣開業医が受け持ち、設置主体は自治体、運営は民間委託で行う。遊休の空き施設、例えば社宅などを借用し、近隣の顔の分かる人々が集り、家族と一定の距離をおける場とし、費用をあまりかけず少子高齢者対策の一形態とする。といったもので、子育て中の母親らや学童も利用できるものになればと考えます。なかなか実践には至りませんが目下研究中です。